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人間同士の関わりのなかで普遍的な「正解」など存在しない
またまた、「体罰と躾の境界」の記事にレスをつけてくださった、永月さんへのレスコメントを書いてたら長くなったので一本書くことにしましたw
保育所兼学童で勤めている弟とも話しますが、結局「子育ての現場を目撃すること」が、今は極端に減っています。
つまり、何がそこで行われ、大変なのか、どういったことが必要なのかという情報がまったくシェアされていません。
育児をする人としない人の会話が平行線になるといわれるのは、その部分だと思います。
こういうことは学校などで教えてもいいような気がしますね。
(実際はメソッドをマニュアル化する流れになって、いろんな弊害が生まれることを見越してやらないのでしょうけれど)
まぁ、そんなことしなくても、想像力を働かせろよということなんですけどね。
ベビーカーの人が電車に乗るときに批難される件は違うんです。
あれはその実ベビーカーのことを論じているんじゃないんです。
見え方のことを言っているんですね。
つまり、それを不快に感じるか否かということ。
上記の問題とも絡みますが、まずはその認知レベルの問題。
畳んで抱きかかえるということがどれだけの労力なのかということを正しく理解されません。
今はエレベーターのある駅が増えましたが、以前はベビーカーと子どもを抱えて駅の階段を上る光景が当たり前のようにありました。
それと、やはり「子どもがいるんだから!」と「開き直られて」いい気がする人なんていません。そういった態度の問題や、先の「きちんと親として躾をしているか」というような問題があるわけです。
結局、事例を当てはめてみても、それを実際やる人の印象で、結果は大きく変わってしまうんです。
だから、「これが正解」と、万人にあてはまる正解なんてないんです。
誰からも許されてしまうようなキャラクターのお母さんなら、別段ベビーカーを畳まなくてもいいんじゃないでしょうか。
周囲の人が優しそうな人だったら。
子どもが調子悪そうにしてたら。
そんなもんだと思います。
なんでも「みんな同じにしなければならない」という「悪平等」から脱却するのが、第一歩として必要だと思います。
仕事だって相手に合わせてやり方を変えますからね。同じことだと思います。
「うるさくてごめんなさいね」と断りをいれる。
これはとても大事なことだと思います。
親は、子どもが何を求めているかを察する意味で、空気を読みますが、外に向かっても、空気を読んで上手く対処すべきだと思います。
そういえば、ディズニーのトイレで、こんなところで叱らなくたっていいじゃないの!という話がありましたが、そのときももしかして、「うわ、この人うるさそうだなー」って察していたんじゃないでしょうか。にも関わらず、「でもしょうがないよね」って思ったところがあったんのではないでしょうか。それが、覚悟として「怒られるのも仕方ない」だったのか、「しょうがないじゃないの」という開き直りだったのかで、自分へのダメージも、その人が受ける印象もまた違うと思うのです。
ひとに話して発散する。
とても大事なことです。
ただ、これは別段子育てに限ったことではないのですが、人に話すときには、「一見客観的な事実に聞こえる」「主観」を話していることが多いです。
ストレス発散、はいいのですが、そこを人に肯定されることをもって、「反省をやめてしまう」のは非常によくないです。成長の妨げになります。
オヤジが僕によく言ったことですが、
「悪いが俺はお前以前に子どもを育てた経験がない。
だから、間違ったこともするかもしれない。
でも、正しいと思ったことをする」
だそうです。
まず、自分が初めから親として成熟しているはずがないという自覚と謙虚な気持ちも持つこと。そして、親として成長していこうという気持ちを持つこと。これはとても大切なことなんじゃないかと思いました。
それと、わからない今の状態でできるベストを行使するのに、「客観的に考えてベターがあるんじゃないか」というためらいを持たない、ということも重要な気がします。
ギャバンの歌で、
「愛ってなんだ? ためらわないことさー」
って歌詞がありますが、ああ、なるほどなと、今書いてて思ったりw
この場合のためらいや迷いって、「ああ、後で自分が後悔するんじゃないかな」とか「ああ、これで周囲に未熟だなとか思われちゃうのかな」とか、自分の理屈が先行している気がします。
別にその決断が、「誰かに訊く」とかでもいいのですが、変なプライドで人に訊くことすらしない人っています。
「そのときのベストを尽くすことをためらわない」
僕も心がけていきたいと思います。
つまり、何がそこで行われ、大変なのか、どういったことが必要なのかという情報がまったくシェアされていません。
育児をする人としない人の会話が平行線になるといわれるのは、その部分だと思います。
こういうことは学校などで教えてもいいような気がしますね。
(実際はメソッドをマニュアル化する流れになって、いろんな弊害が生まれることを見越してやらないのでしょうけれど)
まぁ、そんなことしなくても、想像力を働かせろよということなんですけどね。
ベビーカーの人が電車に乗るときに批難される件は違うんです。
あれはその実ベビーカーのことを論じているんじゃないんです。
見え方のことを言っているんですね。
つまり、それを不快に感じるか否かということ。
上記の問題とも絡みますが、まずはその認知レベルの問題。
畳んで抱きかかえるということがどれだけの労力なのかということを正しく理解されません。
今はエレベーターのある駅が増えましたが、以前はベビーカーと子どもを抱えて駅の階段を上る光景が当たり前のようにありました。
それと、やはり「子どもがいるんだから!」と「開き直られて」いい気がする人なんていません。そういった態度の問題や、先の「きちんと親として躾をしているか」というような問題があるわけです。
結局、事例を当てはめてみても、それを実際やる人の印象で、結果は大きく変わってしまうんです。
だから、「これが正解」と、万人にあてはまる正解なんてないんです。
誰からも許されてしまうようなキャラクターのお母さんなら、別段ベビーカーを畳まなくてもいいんじゃないでしょうか。
周囲の人が優しそうな人だったら。
子どもが調子悪そうにしてたら。
そんなもんだと思います。
なんでも「みんな同じにしなければならない」という「悪平等」から脱却するのが、第一歩として必要だと思います。
仕事だって相手に合わせてやり方を変えますからね。同じことだと思います。
「うるさくてごめんなさいね」と断りをいれる。
これはとても大事なことだと思います。
親は、子どもが何を求めているかを察する意味で、空気を読みますが、外に向かっても、空気を読んで上手く対処すべきだと思います。
そういえば、ディズニーのトイレで、こんなところで叱らなくたっていいじゃないの!という話がありましたが、そのときももしかして、「うわ、この人うるさそうだなー」って察していたんじゃないでしょうか。にも関わらず、「でもしょうがないよね」って思ったところがあったんのではないでしょうか。それが、覚悟として「怒られるのも仕方ない」だったのか、「しょうがないじゃないの」という開き直りだったのかで、自分へのダメージも、その人が受ける印象もまた違うと思うのです。
ひとに話して発散する。
とても大事なことです。
ただ、これは別段子育てに限ったことではないのですが、人に話すときには、「一見客観的な事実に聞こえる」「主観」を話していることが多いです。
ストレス発散、はいいのですが、そこを人に肯定されることをもって、「反省をやめてしまう」のは非常によくないです。成長の妨げになります。
オヤジが僕によく言ったことですが、
「悪いが俺はお前以前に子どもを育てた経験がない。
だから、間違ったこともするかもしれない。
でも、正しいと思ったことをする」
だそうです。
まず、自分が初めから親として成熟しているはずがないという自覚と謙虚な気持ちも持つこと。そして、親として成長していこうという気持ちを持つこと。これはとても大切なことなんじゃないかと思いました。
それと、わからない今の状態でできるベストを行使するのに、「客観的に考えてベターがあるんじゃないか」というためらいを持たない、ということも重要な気がします。
ギャバンの歌で、
「愛ってなんだ? ためらわないことさー」
って歌詞がありますが、ああ、なるほどなと、今書いてて思ったりw
この場合のためらいや迷いって、「ああ、後で自分が後悔するんじゃないかな」とか「ああ、これで周囲に未熟だなとか思われちゃうのかな」とか、自分の理屈が先行している気がします。
別にその決断が、「誰かに訊く」とかでもいいのですが、変なプライドで人に訊くことすらしない人っています。
「そのときのベストを尽くすことをためらわない」
僕も心がけていきたいと思います。
- 2008.07.13 Sunday
- 日記
- 02:28
- comments(2)
- trackbacks(0)
- -
- by 夏目 環
- コメント
- ここに書いてたんですが、やっぱり長くなりましたので、自分のブログにコピペしました(^^;
ちょっと攻撃的って思われるかもしれない。。。なんだろ、私いらついてんのかな〜今日(−−;
決してそんなつもりじゃないいんですよ〜っとここに前置きしておきます♪ -
- 永月
- 2008/07/13 11:06 PM
- 2+2=4
普遍 -
- 2009/08/04 3:29 AM
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